2005年5月7日土曜日

懐かしいー交流編

人は前向きにどんどん行動しなきゃいけないのに、最近昔のことばかり思い出しています。なぜか友達との会話までも昔話を。高校生の時、大学生の時、また、初めて日本に来た時。そうそう、これが懐かしいだよな。。土曜日出勤中の私、突然先生からの電話「あなた選ばれましたよ!日本に行きますか?行けますか?」って。もうこの電話を出てから、あまりにも喜んでて、仕事に集中できなくなってしまった。幸いに社長から2週間の有給許可を許していただきました。逆にすごく応援してくださいました。

2週間タダで日本に来れるなんて、夢までもしたことなかったのに。もちろん日本語を勉強している時に日本に行きたいさ。でも日本ってすごく高いでしょう。貧乏の私にはとっても無理(-_-;)

選ばれたのは作文のおかげ。本当にいい作文を書いたか、ただラッキーだったか、わかりません。私は ただラッキーだったと思うけどな。。友達はみんな作文を出さなかったみたい。多分3,4人だけの程度じゃな かったかな、作文を出したのは。この作文は偶然ネットで知り合ってジャカルタに住んでいる日本人のヘルプで完成しました。今あの人はどこにいるのか知らないけど。。残念!(ネットはこんなもんですよね)

アセアンからインドネシア、マレーシア、タイ、フィリピン、ベトナムの5ヶ国の一人ずつ、日本に招待されました。ということで、私はなんちゃってインドネシア体表になってしまった。本当に私でいいのかって思っちゃうですよね。2週間5人別々のホストファミリーにステイして、一緒に日本の小学校、中学校、高校、大学そして日本企業の訪問して交流して、ディズニーランド、浅草、鎌倉観光等など、もう帰りたくないぐらい楽しかった。さらにその2週間の1日は丁度私の誕生日になっていました。忘れない誕生日でした。

もちろん遊びだけじゃないですよ。ここで自分の国を紹介したり、学生たちとの交流したり、彼らをもっと自分の国を分かってもらったり、色々勉強しなきゃいけないんですよ。そして、ホストファミリーとの交流も大事です。

ホストファミリーには本当に感謝しています。ホストファミリーがいなければ、再び日本に来れなかった。単なる他人だけなのに、再び2週間じゃなくて、1年間を受け入れてくれて、色々面倒を見てくれました。そして日本語学校を探してくれて、入学までの手続きしてくれました。最近弟のために日本語学校を探すのに、改めてこの大変さを分かりました。でも結局途中で学校辞めて、今の会社に入ったんですけどね。これはまたラッキーなことに、インドネシアの前社長の紹介でこの会社に入ったんです。今まで考えたら、私ってラッキーですよね。(^o^)
2000年のあの時、私にとって一生忘れない経験でした。

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